東京地方裁判所 昭和53年(ワ)2285号 判決
原告
武石義房
右訴訟代理人
徳満春彦
右同
向武男
右訴訟復代理人
山本孝
被告
イースタン・エアポートモータース株式会社
右代表者
高木正延
右訴訟代理人
松岡浩
右訴訟復代理人
齋藤方秀
右同
梶谷与平
主文
原告は髭を剃つてハイヤーに乗務する労働契約上の義務のないことを確認する。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
(原告)
原告は髭を剃つてハイヤーに乗務する労働契約上の義務のないことを確認する。
被告は原告に対し昭和五三年三月二八日以降原告をハイヤー乗車勤務させるまで毎月二八日限り一か月金三万七五八六円の割合による金員とそれぞれ右各月の支払金員に対する各月二九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。
訴訟費用は被告の負担とする。
第二項、第三項につき仮執行の宣言。
(被告)
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
(請求原因)
一 被告会社は、全日本空輸株式会社(以下全日空と略称する)のパイロット等の送迎を業とするハイヤー会社であり、原告は被告会社に雇傭されているハイヤー運転手である。
二 原告は、昭和五二年三月ころより鼻下に髭をたくわえていたところ、被告会社は、昭和五三年二月一日、原告に対し「次の勤務日までに必ず髭をそるように。もし髭をそらないときは、ハイヤー乗車勤務につかせない」との業務命令を発した(以下本件業務命令という)。原告は、本件業務命令に従わないで次の勤務日である同月四日出勤したところ、被告会社は、原告に対しハイヤーに乗車勤務させず、事業所内に待機することを命じた(以下、本件下車勤務命令という)。
三 原告は、被告会社から基本給の他、ハイヤー乗車勤務に伴い業績手当、時間外手当、深夜勤務手当、宿直、二便手当等の諸手当(以下、以上の諸手当を乗車勤務給と総称する)の支給を受けていたが、本件下車勤務命令により一か月金三万八五八六円相当(昭和五二年二月分から昭和五三年一月分までの平均)の右諸手当の支給を受けることができなくなつた。なお、被告会社の給料支給日は毎月二八日である。
四 原告は、髭をそる労働契約上の義務を負つていないにもかかわらず、被告会社は、本件業務命令を発し、次いで本件下車勤務命令を出した。
すなわち、原告は、ハイヤー運転手として被告会社の指示に従い顧客を安全、確実に運送する業務に従事する労働契約上の義務を負うにとどまり、被告会社の指示に従いその髭をそり落す義務はない。原告は、サービス業務として勤務中被告会社の貸与する服装を着用しなければならないことは格別、業務の遂行上阻害となる著しく異様、奇態なものでない限り自由に髭をたくわえることを禁止される理由はない。元々髭は、身体の一部であり容姿の一内容であるから、何人であつても自己の価値感と美意識に従い自己の容姿を考えて髭をたくわえることの可否およびその型を自由に選択決定できる。個人の容姿の自由は、「個人の尊厳」「思想・表現の自由」の原則にもとづいて憲法上の保障を有するところでもある。従つて、何人も他人の容姿を強制的に変えることはできない。
被告会社は、原告を昭和五三年二月四日からハイヤーに乗車させないでいる。このため、原告は、毎月金三万七五八六円の乗車勤務給を受領できないでいる。これは、右にのべたとおり、被告会社の正当な理由のない本件下車勤務命令にもとづくものであつて、これによる原告の労務給付の不能は被告会社の責に帰すべき事由によるものといえるから、被告会社は右乗車勤務給を原告に対して支払うべきである。
よつて、原告は、被告に対し髭をそつてハイヤーに乗務する労働契約上の義務のないことの確認を求めると共に、原告に本件下車勤務命令を発した後の給与支給日である昭和五三年三月二八日から原告をハイヤー乗車勤務させるまで毎月二八日限り金三万七五八六円の割合による乗車勤務給の支払とこれに対する右各月の給与支給日の翌日である二九日から右支払済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(請求原因に対する認否)
一 請求原因一ないし三の各事実は認める。
二 同四は争う。
被告会社のハイヤー運転手が、髭をたくわえることは、労働契約上あるいはハイヤー業界の作業慣行として許されないものであるから、原告が髭をたくわえたままハイヤーに乗車勤務することは適法な労務の提供とはいえず、かかる労務の提供により生ずるとされる乗車勤務給の支払請求権は発生しない。
(抗弁)
一 本件業務命令は、次のとおり労働契約あるいは作業慣行にもとづくもので合理的な理由がある。
(一) 本件業務命令は、被告会社の作成した「乗務員勤務要領」にもとづいて発したものである。これは、被告会社の「規則及び諸規程」の一であるから、原告は、これに従つた労務提供義務を負うのは当然である。
1 被告会社は、旅客自動車運送業を営むものとして、自動車運送事業運輸規則により「乗務員の服装についての規則」および「指導要領」を作成するべきことを義務づけられており(同規則二七条、二六条の三)、旅客および公衆に対する応接に関し必要な事項について適切な指導監督を怠つてはならないのである(同規則二六条の三)。そこで被告会社は、ハイヤー運転手の服務を規律するものとして「業務員勤務要領」を作成したのであつて、これは、被告会社の定める「規則又は諸規程」の一というべきである。そして、この中には、「髭を剃ること」を定めており、右髭には、無精髭はもとより、原告のような口ひげを初めその他一切の形態をも含む髭を剃ることを求めたものである。
2 原告は、昭和四八年七月、被告会社に入社したが、その際、被告会社は、右「乗務員勤務要領」を原告に貸与し、昭和四九年二月の本採用試験の折にも改めて配布し、これに従つて勤務するべく指導を重ねてきた。
このように、被告会社は、原告および従業員に対して「乗務員勤務要領」に従つた労務提供を要求していたのであるから、これは当然に労働契約の一内容として原告を拘束するというべきである。従つて、原告は、右「乗務員勤務要領」の定めるところに従つて口ひげをそる義務を負つている。
(二)1 従業員の心身等に関する自由は尊重されるべきであるが、頭髪、服装、眼鏡等の着用、髭、その他みだしなみ等については、企業運営の必要性、企業秩序の維持その他諸般の事情を総合して考察されるべきであり、社会通念に反するものでない限り、企業経営上の必要からの考慮が払われて然るべきである。
ハイヤー営業におけるサービスの在り方は、被告会社が長年にわたり営業方針として確立し実施してきたものであり、これにもとづいて全従業員を教育、指導し指示してきたのであつて、全従業員も異議なくこれを遵守してきた。被告会社は、全従業員と共に絶え間なくこれらのサービスを誠意をもつて提供することにより、顧客との継続的関係を確立・維持することができ、長年にわたる信用を築き上げることができたのである。顧客に対してサービスに徹することは、ハイヤー業界の通念である。
ハイヤー業務においては、年令・地位等さまざまな階層の、さまざまな感情を有する顧客にハイヤーサービスを提供しなければならず、従つて、多少でも顧客が不快感を抱くおそれのある服装、頭髪等を予め一律に禁止することは当然であり、これらの一環として髭をそることなどを指示し得ることもまた当然である。
2 髭について考えてみると、髭をたくわえることは、戦前「権威の象徴」であり、ここ数年は「管理社会への反抗の象徴」とされている。ハイヤーの顧客は、官公庁、会社等の高級管理者など比較的地位の高い者が多く、このような乗客の中には髭を不快・奇異もしくは場合によつては畏怖感さえもつに至ることがあり得る。一時よりも髭をたくわえる人達が多くなりつつあるとはいえ、その範囲は自由業、学生その他何らの制約なく自己決定をなし得る人々など社会的には極く一部の人に限られているのが実情であるここ数年にして「社会全体の風俗」として髭が認容されるに至ることはあり得ない。
原告にとつて髭は、単に趣味の問題であり、好みにすぎない。顧客の髭に対する右のような好悪感情等の変更を求め、その意識変化を強いることはできないのであるから、原告が髭をはやすことは、被告会社の企業の維持・存続にも重大な影響を与えるおそれがある以上、原告の髭に関する利益、理由、必要性を比較して考えても制限されるべきである。
3 顧客等に対するサービスの内容等については、経営につき責任を有するハイヤー会社のみが決定し得ることであり、又、顧客等のサービスの要求につき批判的言辞をなし得るべきでない。それ故、顧客のサービスの要求については原則的に受容し、又、要求されるであろう事柄については、これを予め忖度して改善を図るべく運転手等に指示することができ、又、指示すべきである。
(三) 被告会社の百数十人ハイヤー運転手の中には口ひげをたくわえている者はいないし、従来口ひげをはやしたハイヤー運転手もその所属長からそるようにとの指導もしくは注意を受けたときはそつていたし、原告自身もこれまで一、二度髭をはやしたことがあるが、右指導によりそつたことがある。このように、被告会社においては、髭をたくわえるべきでないという業務上の慣行が確立していた。又同種業界六〇数社六〇〇余人のハイヤー運転手の中にも一人として髭をたくわえてハイヤーに乗車業務する者がいないのが現実であり、これがハイヤー業界の作業慣行というべきである。
二 本件下車勤務命令により、被告会社は、原告の労務給付を拒否し乗車勤務給に相当する賃金の支払を拒絶しているが、この間、原告は、他で稼働し、これにより右乗車勤務給相当以上の収入を得ている。
(抗弁に対する認否)
一 抗弁一のうち、被告会社の「乗務員勤務要領」に「髭を剃ること」の記載があることは認め、その主張は、すべて争う。
(一) 右「乗務員勤務要領」は、ハイヤー運転手の顧客に対するサービス要領の基本として平素における運転手自身の身だしなみを示したものであり、就業規則にもとづくその下位規範として定められた「会社の定める諸規程」に含まれるものでない。又、右「乗務員勤務要領」にある「髭」はいわゆる「不精ひげ」を指し、意図的な髭を予定していない。
(二) 現在は、髭はもはや特異な存在であるという価値感は次第に克服され、これをたくわえる人も多くなりつつある。このような現状のもとにおいて、被告会社あるいはハイヤー業界に現に髭をはやしているハイヤー運転手がいないからといつて、これが直ちに作業慣行であるということはできない。又、労働者といえどもその容姿を自由に決定できるのが基本であるから、仮に髭をそるとの労働契約があつたとしてもそれは合理的なものでない。従つて、上司の「髭をそれ」との指示・命令に直ちに従わなければならない合理的な根拠がないし、原告がそれに拘束される法的理由もない。
二 抗弁二の事実は認める。ただし、原告が得ている収入は、被告会社が支払を拒んでいる本件乗車勤務給に相当する程度のものである。
第三 証拠〈省略〉
理由
一請求原因一ないし三および被告会社の「乗務員勤務要領」に「髭を剃ること」との記載があることの各事実は、当事者間に争いがない。
〈証拠〉によれば、次の事実が認められこれを覆えすべき証拠はない。
(一)1 被告会社は、昭和四九年一月、イースタン羽田交通株式会社とイースタンモータース株式会社羽田営業所が合併して設立された一般乗用旅客自動車運送事業を営む会社であり、イースタン交通株式会社、イースタン向ケ丘交通株式会社、イースタン観光株式会社等と共にイースタンモータース株式会社の系列会社の一である。なお、系列会社相互間の代表取締役は同一人であり(高木正延)、就業規則等も同一内容のものが施行されている。
2 全日空は、航空機の安全運航を図ることを主目的として、被告会社にパイロット、地上管理職等の送迎方を依頼し、被告会社も永年にわたつてその付託に応えてきた。
3 ところで、ハイヤー営業は、予め特定の顧客と継続的な契約を結び、その注文に応じて指定された場所に配車して、乗客の指示に従い運送行為を行うのを常態とし、いわゆる「流し営業」は禁止されている。しかも、タクシーと異つて料金も高額であるため自ずから顧客も限定されるため、他社との競争も激しく経営の維持には一層の配慮をなさざるを得ない。被告会社は、現在、独占的に全日空関係者の送迎を行つており、これが営業収入の殆んどを支えるものであるが、これについても競争会社がその一角に割り込むことを画策している実情にある。
4 そのため、被告会社は、ハイヤー運転手の顧客に対するサービスのあり方には殊更に意を用いている。すなわち、ハイヤー運転手は、外部において直接顧客等と接触してハイヤー営業行為を行うものであり、そのサービス活動の実績の推移がそのまま被告会社の経営面に大きな影響を与えることとなるので、顧客に対する接遇については遺漏なく、安全・確実かつ快適なサービスを提供して会社の信頼を保持し、これを高めるべきことを求めていた。このような目的から「乗務員勤務要領」(昭和三九年二月ころは「ハイヤー部運転者勤務要領」、昭和四八年ころは「ハイヤー乗務員勤務要領」と題していた。以下これらを総称して「乗務員勤務要領」という。)を作成して、ハイヤー運転手の教育・指導を行つていたほか、これを各営業所に配布して日常の勤務上十分発揮すべきものとしていた。
5 又、車両の手入れ、服装、みだしなみ等に関しては、こと細かな指示をし、ハイヤー運転手の奇異な服装、長髪、サングラス等に関してはこれを直すようその都度注意を与えていた。そして、被告会社の事業所内に鏡、櫛、ドライヤー、電気カミソリ、アイロン、化粧水等を備え置いて、これを自由に使用させていた。
(二)1 原告は、昭和四八年七月二七日、イースタンモータース株式会社にハイヤー運転手臨時職として採用され、同時に同社羽田営業所に配属された。その際、同営業所高井清三郎から①同営業所の沿革、②同営業所は、航空機の安全連行の要請から全日空のパイロットの送迎を行つているため、時間の厳守はもとより一層高度なサービスの提供が必要であること、③ハイヤーは、タクシーと比べて料金も高く、又、より高級な車両を使用し、車内備品もそれに相当したものを備えているので、運転手としても車両の整備、服装、言辞、接客の態度等について十二分に行き届いた配慮をし、快適なサービスに心掛けなければならない等ハイヤー業務の特殊性に由来するサービス態度の基本的事項、④事故を起さないように安全運転に努めること、⑤勤務体制等新規採用者に対する所定の説示を受けた。その後、教官が、原告運転のハイヤーに添乗してサービスの実際、車両の手入れや地理等に関する実地教育を五勤務(約半月間)にわたつて行つた。
2 原告は、所定の臨時職の期間を経過した後、昭和四九年二月ころ、本採用試験を受けることとなつた。被告会社羽田営業所高井清三郎は、原告に対し本試験の約一〇日前に「乗務員勤務要領」(乙第七三号証の「ハイヤー乗務員勤務要領」と同一内容のものと認められる。以下、原告との関係における「乗務員勤務要領」とはこれを指す)を貸与し、その中の「社是」「サービス六原則」については必ず暗記しておくようにと指示した。
3 本採用試験は、原告運転のハイヤーに右高井が試験官として添乗し、羽田営業所構内を一周運転するなかで約一五分にわたつて行われた。本採用試験は、入社して半年経過した一つの“けじめ”として行うものであるから、改めて入社年月日、社長・専務・部長の名前、営業所の名称が質問されたほか、半年勤務して一番大切で重要と感じた事項、運転上の信条、「社是」「サービス六原則」に関する事項等の質問がなされた。
4 「乗務員勤務要領」は、被告会社総務部が、ハイヤー運転手の教育・養成を目的として作成した約四〇ページの小冊子であり、その“はしがき”には、「この心得は、ハイヤー運転者として勤務する上に心得ておらねばならない具体的細部について特にお客様に対するサービス要領の基本を示したものです。従つて、他の服務に関する諸規則と合わせて熟読し、これを日常の勤務の上に充分発揮しなければなりません」との記載があり、その内容は、1ハイヤーの営業形態、2ハイヤー運転者の責任、3ハイヤー運転者としての心構え、4車両手入れ及び服装、5出庫から帰庫までの基本的要領、6事故の場合の処置、7無線使用についての七項目からなつており(前記乙第七三号証の「乗務員勤務要領」による)、各項目毎に具体的かつ詳細な説示がある。
そして、「乗務員勤務要領」の「4車両手入れ及び服装」の“平素における乗務員自身のたしなみ”の中に(ハ)ヒゲをそり、頭髪は綺麗に櫛をかけるとの箇条がある。同項のその余の箇条をみると、(イ)節制に心がけ、明朗な気分で勤務する、(ロ)勤務中は制服を着る、(ニ)垢のついたワイシャツを着ない、(ホ)必要な釣銭、有料道路料金を用意しておく、(ヘ)得意先関係、又は都内周辺の地理について特にお馴染のお客様の顔はよく覚えて、目的地さえ伺えばいつもの経路でお送かできるように先輩から平素学びとるよう努めなければならない。(ト)重要なビル、官庁、会社、宴会場、娯楽場、文化施設等場所の研究は重要です、(チ)出先で起つた必要なことは機転を利かして無線又は電話で速やかに連絡するとの箇条が列挙されている。
5 「社是」は、①イースタンは科学的経営に向つて進む、②イースタンは社員の共同体であり信頼によりつながる、③イースタンは社員と共に伸びる希望を持つ、④イースタンは社員の創意工夫により停滞することがない、⑤イースタンは他社にすぐれた独自のサービスと信用に立脚するというものであり、又、「サービス六原則」は、①前後の挨拶の励行、②運転中お客さまより言葉をかけられたら「ハイ」「イイエ」を明確に、③急ブレーキ、悪路等でお客様に不快感を与えたら、すぐ謝ること、④ドアーの開閉はいかなる場合もお客さまにさせてはならない。(特別の場合除く)、⑤車内灰皿は一回毎に清掃すること、⑥喰えタバコ、ひじかけ運転は厳禁するというものである。
これらの「社是」「サービス六原則」は、「乗務員勤務要領」に記載されているほか、事業所内に掲示されている。
(三)1 被告会社のハイヤー運転手小池泉次郎が、ヨーロッパ旅行から口ひげをたくわえて帰国した際、これを注意したところ、同人はそれに従つてそり落した。同人は、昭和五一、二年ころ、再度口ひげをはやしたが、被告会社は、それに対しても「髭はまずいからそりなさい」と注意をしたが、同人は、「東南アジアの方に旅行に行くので、旅行に行つている間は、はやしていたい。帰つて来たらすぐそる」と答え直ちに右指示に従わなかつたが、帰国後そり落した。
2 原告は、昭和五一年後半ころ、口ひげをはやしたが、このときは被告会社から格別の指摘を受けることもなく経過し、これを自らそつた。その後、再度口ひげをはやしたところ、今度は、被告会社の羽田営業所長や専務等から「お前は髭のない方が男前だ」「みつともないからそつた方がいい」と注意を受け、暫時の後自らこれをそり落した。
3 原告は、昭和五二年三月ころ、本件口ひげをはやした。これに対して被告会社の羽田営業所長や専務などから三勤務に一回(一〇日に一回)程度の割合で「ひげはみつともないからそれよ」「ひげがない方が男前だ」等と注意を受けたが、原告は、これを無視してハイヤーに乗車勤務していた。同年六月に入つたころから、頻繁に注意を受けるようになり、七月ころには専務から「髭をそらないのか」「そらないなら懲戒にかけるぞ」等と不利益処分を科することを示唆されるに及んだが、原告は、「髭をそる気はありません」「髭をそらないからといつて懲戒にかけられるのか。できるんだつたらやりなさい」と応答した。その後も、被告会社は、「ホテルの従業員などサービス業の人はみんな髭なんかはやしていない」等と再三にわたり説得を重ね、口ひげをそることを指示したが、原告は、「髭は身体の一部だから会社に強制されることはない」「髭をはやすのは自由だ」等と被告会社の指示に従わなかつた。
4 昭和五二年一二月の明番懇談会の席上、ハイヤー運転手長谷川幸三から「お客さんからも原告の髭が指摘されている。なぜ会社は放置しているのか。管理職の意見が聞きたい」との発言がなされた。これに対し、被告会社は、「会社も放置しているわけではない。何度も説得したり注意したり指示を与えるけれども一向に聞いてくれないので困つている。今後も厳重に注意する」と回答した。
その直後、被告会社は、原告に対し「口ひげについて明番懇談会でお客様からも指摘されたとの報告があつた」旨、伝え「原告があまりそつてくれなければ、会社としても何らかの措置を考えなければならない。是非髭をそるように」との注意を与えた。原告は、「お客さんが、そつてくれというようなことがあればそりますよ」「髭を伸ばすのは自由ですよ」と答えた。
5 昭和五三年一月の明番懇談会において、長谷川から前回と同旨の発言がなされたので、被告会社も同人に対し顧客の誰からどのような指摘があつたのか具体的な事実を明確にするように問い質したが、同人は、お客に迷惑がかかるからと言つて被告会社の右調査には何ら答えなかつた。
6 一方、被告会社は、従業員の間においても原告の口ひげが問題視されるに及んだため、これを放置しておくことは、従業員に対するみだしなみの維持の必要上不都合を来たすし、又、髭をはやす者が増加してこれが被告会社の業務遂行上悪影響を及ぼすことを懸念して、何らかの措置をとる必要があると判断するに至つた。そして、この際ハイヤーに乗車勤務させないこととすれば、原告も反省しその口ひげをそるであろうと考え、昭和五三年二月一日、「この次の乗務の時までに必ず口ひげをそるように」との本件業務命令を口頭で原告に告知した。
7 同月四日、原告は、口ひげをそらないで出社したため、被告会社は、本件下車勤務命令を発した。これに対し、原告は「車に乗せないというのであれば、就業規則のどこに違反するのか。就業規則にもとづいてやつてもらいたい」「お客さんに口ひげが不快感を与えると決めつけて対処することは問題だ」「頭がはげている人は嫌いだとか、顔つきがやくざみたいだから嫌いなんだということをお客さんが言つたらどうするのか」等と反論したが、被告会社は、「就業規則には関係がない」「口ひげは、お客さんに不快感を与えるからよくない」等と答えたにとどまつた。
8 原告は、本件下車勤務命令後、被告会社の乗務員室に待機し、横臥してテレビを見る等の状況が続いたため、他の従業員との間でトラブルが生ずるおそれが生じた。そこで、被告会社は、昭和五三年三月一六日、「原告のこのような状況は、上司の業務指示に従わず職場の秩序をみだし又はそのおそれがある」と判断して、就業規則二八条第三号にもとづき原告を被告会社の事業所へ立入ることを禁止する旨文書で通告した。
9 東京都内には、被告会社の外六五社のハイヤー会社があるが、それらのうち六〇社に近いハイヤー会社では、ハイヤー運転手が髭をはやしてハイヤーに乗車勤務することは業務上不都合であるとして、これをそるように指導・指示し、これに従わない場合には乗車勤務を見合わせる措置をとることを考えているが(しかしながらこれらの会社においても、ハイヤー運転手が髭をはやした事例は皆無に近いため現実にかかる措置をとつたことはない)、他方、見苦しくない髭であるなら乗車勤務することもやむを得ないとする会社あるいは髭は個人の自由であるから別にかまわないと考える会社もある。又、就業規則その他の規程、服務規律等においてハイヤー運転手が髭をはやさないことを明確に規定するものは、数社にとどまつている実情であり(ハイヤー運転手採用時に、労働条件の一として予め髭を禁止する旨言明しているハイヤー会社もある)、多くは業務上の指導もしくは指示により髭に対する規制を行なうとする。ハイヤー運転手が髭をはやした例は、過去に数社においてあつたが、いずれも会社からの何らかの指示によりそつており、現に髭をはやしているハイヤー運転手は皆無のようである。
二被告は、本件業務命令は、被告会社の作成にかかる「乗務員勤務要領」あるいは被告会社・ハイヤー業界におけるハイヤー乗務の作業慣行にもとづいてなしたものであり、原告が口ひげをそることは労働契約の一内容である旨主張する。
口ひげは、服装、頭髪等と同様元々個人の趣味・嗜好に属する事柄であり、本来的には各人の自由である。しかしながら、その自由は、あくまでも一個人としての私生活上の自由であるにすぎず、労働契約の場においては、契約上の規制を受けることもあり得るのであり、企業に対して無制約な自由となるものではない。すなわち、従業員は、労働契約を締結して企業に雇用されることに伴い、労働契約に定められた労働条件を遵守し、その義務を履行することは当然である。従つて、企業が、企業経営の必要上から容姿、口ひげ、服装、頭髪等に関して合理的な規律を定めた場合(企業は、企業の存立と事業の円滑かつ健全な遂行を図り、職場規律を維持確立するために必要な諸事項を規則をもつて定め、あるいは時宜に応じて従業員に対し具体的な指示・命令をすることができるのであるから、口ひげ、服装、頭髪等に関しても企業経営上必要な規律を制定することができるのは明らかである。ことにハイヤー営業のように多分に人の心情に依存する要素が重要な意味をもつサービス提供を本旨とする業務においては、従業員の服装、みだしなみ、善行等が企業の信用、品格保持に深甚な関係を有するから、他の業種に比して一層の規制が課せられるのはやむを得ないところであろう。しかしながら、この場合にあつても、企業は、労働契約により従業員を雇用しているとはいえ、これを一般的に支配できるものではないのであるから、右規律といえども労働契約の履行との関連性をはなれてなし得ないのはもとより、従業員の私生活上の自由を不必要に制約するものであつてはならないこともまた当然である。)、右規律は、労働条件の一となり、社会的・一般的に是認されるべき口ひげ、服装、頭髪等も労働契約上の規制を受け、従業員は、これに添つた労務提供義務を負うこととなる。
(一)1 被告は、原告に対する本件業務命令は、「乗務員勤務要領」の規定にもとづいてしたものであり、右「乗務員勤務要領」は被告会社の作成した規則および諸規程の一に該当すると主張する。
前記認定事実によると、「乗務員勤務要領」は、総務部がハイヤー運転手を教育・養成する目的で作成しこれを平素の勤務上十分発揮することを指示して各営業所に配布したものである。「乗務員勤務要領」は、その“はしがき”にあるようにハイヤー運転手として心得ておかねばならない具体的細部について特に顧客に対するサービス要領の基本を示したもので、内容もそれに添つた七つの項目と各項目毎の具体的かつ懇切な説示、指示により構成されている。しかしながら、本来的には規則として制定されたものではないし、又、就業規則の付属規程等と異つて、就業規則に根拠をおくことを明示する旨の箇条はなく(就業規則の付則には、就業規則に対応する旨の条項が定められている)、その他形式・内容等においても規則としての形式を欠き、改廃についても特段の手続をふむことなく必要な都度適宜なされていたようである。そして、また「乗務員勤務要領」は、被告会社とその従業員らが作成につき互いに協議し、合意に達してこれを作成したことを認める証拠もない。
以上の事実によれば、被告会社が、原告に対し本件業務命令を発した根拠とする右「乗務員勤務要領」は、いずれの点よりみてもこれを会社の定める規則又は諸規程と解することは困難である。
2 次に、被告は、被告会社は、ハイヤー運転手に対し「乗務員勤務要領」にもとづいたハイヤーサービスの提供を指示していたのであるから、これに従つた労務提供をすることが労働契約上要請されるところであり、そして、右「乗務員勤務要領」の「車両の手入れ及び服装」の項の「平素における乗務員自身のみだしなみ」の箇所には“ヒゲをそる”との箇条があることから、口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務することは許されないと主張する。
被告会社は、一般旅客運送を業とする会社であり、ハイヤー営業が収入源を殆んど一手に支えるものである。ハイヤー営業においては、人的機構や物的設備が顧客を中心として構成され、全体として安全、確実な輸送はもとより、寛ぎのある快適なサービスの提供が重要視されることから、ハイヤー運転手は、服装、みだしなみあるいは言動、応接態度には常に留意して顧客を接遇することが要請されるのであつて、被告会社としてもハイヤー運転手のサービス提供のあり方について事業経営上格別の努力を払つてきた。すなわち、ハイヤー運転手は、運転技術のみならず服装、みだしなみ、挙措、言行等についてもハイヤーサービスの提供にふさわしい品格を保持すべきであるとして、「乗務員勤務要領」によりサービス提供に関する一般的かつ基本的な事項を具体的に指示し、これを日常勤務の上で十分発揮することを徹底して教育し、その履践を求めていたものである。そうであるとすれば、右「乗務員勤務要領」は、被告会社の定める規則又は諸規程に該当しないとしても、被告会社が、ハイヤー業務の特殊性を直視してハイヤー運転手がハイヤーに乗車勤務する上で遵守すべき服務を規律したいわゆる業務上の指示・命令の一にほかならないと解するのが相当である。先にのべたとおりハイヤー運転手は、乗務の性質上顧客に対して不快な感情や反発感を抱せるような服装、みだしなみ挙措が許されないのは当然であるから、被告会社がこのようなサービス提供に関する一般的な業務上の指示・命令を発した場合、それ自体合理的な根拠を有するから、ハイヤー運転手がそれに則つてハイヤー業務にあたることは、円満な労務提供義務を履行するうえで要求されて然るべきところである。
のみならず、被告会社が、原告を採用するにあたつてもハイヤー業務の特殊性および顧客に対するサービスに徹することを説示した上で、「乗務員勤務要領」を交付してその履行を教育・指導していたものであるから、原告は、これに従つた労務提供義務を負うことは明らかである。従つて、原告は、「乗務員勤務要領」により指示された車両の手入れ、身だしなみを履践することはもちろん髭をそるべきこともまた当然である。
そこで、「乗務員勤務要領」に記載されている“ヒゲ”が本件のような口ひげをも指すか否かが問題となる。(なお、原告が、被告会社と労働契約を結んだ際、口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務しないとの労働条件が明示的に右契約の内容をされたことを認める証拠はない)。
「乗務員勤務要領」は、昭和三九年二月ころにはすでに作成されており、その後若干内容的に変化しているが、車両の手入れ及び服装に関する項は同一であり「ヒゲをそること」は一貫してハイヤー運転手のみだしなみとして要求されている。ところで、証人山内政義の証言によれば、被告会社の系列会社の一であるイースタンモータース株式会社においても被告会社と同一の「乗務員勤務要領」(乙第一号証参照)を作成し、ハイヤー運転手を指導・養成していること、被告会社は、原告から本件訴訟が提起されたことに関連して都内の全ハイヤー営業会社に対し髭に関するアンケート照会をしたが、同社からの回答(前掲乙第七〇号証の一、二)によれば(なお、右アンケートの回答者である同社の代表取締役は被告会社と同一人である)、同社は、「乗務員勤務要領」により口ひげを一般的に禁止し得るとの立場をとりながらも、なおそこにいう「ひげ」が「無精ひげ」かどうかあいまいであることを指摘していることが認められる。又、近時は、口ひげは個人の趣味・嗜好の問題として比較的一般に理解されるようになり、現に口ひげをはやす者も従前に比してその数を増していることは被告も自認するところであるが、右「乗務員勤務要領」が作成された当時においては、髭に対する観念が末だ一般化していなかつた状況を考えると、口ひげに対する規制をも念頭においてこれを作成したと解することは困難である。かてて加えて、本件発生に至るまでの間、被告会社においては、海外旅行等に伴う事情があつたとはいえハイヤー運転手が口ひげをはやしたままハイヤーに乗車勤務することを了知していた事実も認められるし、又、被告会社が右ハイヤー運転手や原告に対し口ひげを規制したのは、口ひげが「みつともなく、お客に不快感を与える」からであり、「就業規則には関係ない」ことを言明しているのであつて、そうであるとすれば、被告会社は、右「乗務員勤務要領」の「ヒゲをそる」旨の箇条により従業員の口ひげをも一般的かつ一律に規制し得ると考えていたか否か甚だ疑問であるといわざるを得ない。むしろ、被告会社は、ハイヤー運転手に端正で清潔な服装・頭髪あるいはみだしなみを要求し、顧客に快適なサービスの提供をするように指導していたのであつて、そのなかで「ヒゲをそること」とは、第一義的には右趣旨に反する不快感を伴う「無精ひげ」とか「異様、奇異なひげ」を指しているものと解するのが相当である。
従つて、「乗務員勤務要領」にもとづいて原告の口ひげを規制すべく本件業務命令を発したとする被告会社の主張は理由がない。
(二) 被告は、ハイヤー運転手は、髭をはやさないということが被告会社およびハイヤー業界における作業上の慣行として確立していると主張する。
労働契約締結に際して当事者間に明示の合意のない事項についても、それが企業社会一般において、あるいは当該企業において慣行として行われている事柄である場合には、その慣行が労働関係を規律していると解する余地がある。しかし、右にいう慣行とは、当該慣行が企業社会一般において労働関係を規律する規範的な事実として明確に承認され、あるいは当該企業の従業員が一般に当然のこととして異議をとどめず当該企業内においてそれが事実上の制度として確立しているものであることを要する。
前記認定のように、東京都内の多くのハイヤー会社では、ハイヤー運転手が髭をはやして乗車勤務することにつき極めて消極的な態度を示しているが、本件のような事例に現実に直面したことがないこともあつて、各社とも具体的な運用上の問題として口ひげを律したわけではなく、ハイヤー会社の中には顧客に不快感を抱かせない場合には肯定しようとする会社もいくつかあり、結局、ハイヤー運転手の口ひげに関して各社を通ずる一般的な制度というべきものが確立していたとは認められない。又、その対応の仕方についても、就業規則、服務規律等でハイヤー運転手の口ひげに関する規制を定めているとするハイヤー会社が数社あるが、その余のハイヤー会社においては格別明示的な規制はないが、ハイヤー運転手が口ひげをはやすことが業務上不都合となる場合には、その都度業務上の指示あるいは指導によりこれを規制し得るものと考えており、これは、企業経営の維持の上当然なし得る措置で、敢えて労働関係を規律する作業上の慣行というべき条理ではない。又、被告会社における口ひげの対応の仕方についてみても一律にこれを規制していたわけでもない。
そうであるとすれば、各ハイヤー会社において口ひげを規制するべく意を用い、そのため東京都内のハイヤー会社において髭をはやしている運転手が現に皆無であるとしても、ハイヤー運転手が口ひげをはやして乗車勤務しないとの作業上の慣行が、ハイヤー業界一般あるいは被告会社において確固として存していたとは解し難く、被告のその旨の主張はたやすくこれを肯定することはできない。
(三) さらに、被告は、ハイヤー運転手が髭をはやして乗車勤務することは顧客に不快な念を生じさせるおそれがあり、そのために被告会社の継続的な取引関係や職場秩序に重大な影響を及ぼしかねないと主張する。
顧客は、ハイヤー業務に対し安全、確実な輸送はもとより寛ぎのある快適なサービスの提供を期待しているものである。ハイヤー運転手が、これに背向して顧客に不快感、反発感あるいは警戒の情感をかきたてるハイヤーサービスをした場合、企業の品格、信望が傷つけられることは必至であり、しかも、企業の品格、信望は一たび損われれば回復は著しく困難で、企業は計り知れない損害を被ることとなる(ハイヤー業務のように特定の顧客との継続的な取引が主体となる場合には特にそうである)。従つて、ハイヤー業務においては、顧客に対するハイヤーサービスの充実向上を図ることが、業務の正常な運営を維持確立するために不可欠な要素であるから、顧客が求めているハイヤーサービスと不調和をきたすようなハイヤー運転手の容姿、服装、みだしなみ、挙止等に対しては時宜に応じて必要な業務上の指示・命令をなし得るのは当然であるといわざるを得ない。ハイヤー運転手が、口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務することが、円満な事業経営と両立し得るかどうかについても、ハイヤー業務の特殊性ことに顧客に対する影響を看過して考えることはできない。
証人山内政義および同高井清三郎の各証言によると、被告会社は、ハイヤー業務に伴う苦情あるいは提言についてはこれを真摯に聴取検討し、又、全日空側も比較的自由にその都度苦情等の申入れをしていたのであるが、原告が口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務していた一〇カ月間、全日空側から原告の口ひげに関して格別具体的な苦情等が申入れられたことはなかつたことが認められる。ただ、昭和五二年一二月の明番懇談会において、一従業員から原告の口ひげに関してお客から指摘を受けた旨の報告がなされ、それに対する被告会社の対応方について問題が提起されたものの、被告会社のその後の調査によるもかかる事実の存否および内容を詳らかにするに至らなかつた。又、原告の口ひげが、顧客の求めているハイヤーサービスに違和し、従らに反発感、不快感あるいは嫌悪の情感等をかき立て、これにより被告会社の品格、信望等につき鼎の軽重が問われていることを認める証拠はない。このような事実関係においては、原告が口ひげをはやしてハイヤーに乗車勤務したことにより、被告会社の円滑かつ健全な企業経営が阻害される現実的な危険が生じていたと認めることは困難である。
そうであるとすれば、原告が、本件業務命令に従うことが原告の労務提供義務の履行にとつて必要かつ合理的であつたとは末だ認め難いといわなければならない。
三次に、原告は、被告会社の責に帰すべき事由により労務の給付が不能となつたので、乗車勤務給相当の賃金請求権を有する旨主張するので、この点について検討する。
(一) 原告は、被告会社から本件下車勤務命令によりハイヤー乗務を拒否されたため、ハイヤー業務に関する給付ができなくなつたのであるから、履行が不能となつたといえる。
(二) ところで、原告は、本件下車勤務命令により給付が不能となつている期間中、少くとも支払が拒否されている乗車勤務給に相当する金員を他所における稼働により得ていることは、当事者間に争いがない。
そうであるとすれば、原告の給付不能が被告会社の責に帰すべき事由に起因するか否かを判断するまでもなく、右賃金請求に関する原告の主張は理由がない。
四以上のとおり、原告の被告に対する本訴請求は、髭をそつてハイヤーに乗務する労働契約上の義務のないことの確認を求める限度で理由があるのでこれを認容し、その他は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を適用して主文のとおり判決する。
(星野雅紀)